『ものがたりいちば』

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ドキュメンタリー「世界を変えたテレビゲーム戦争」の解説。ゲームハード戦争の歴史を振り返る

ゲームハード戦争史、映画の後の歴史も解説付けました。

2019年アメリカ制作
監督:ダニエル・ユンゲ
出演:ノーラン・ブッシュネル:豊田信夫:ハワード・リンカーン

「映画、出版、音楽」すべてを合わせたよりも売上額が高い、エンタメ界の覇者となったゲーム産業の始まりを描いたドキュメンタリーです。

趣味のゲームが題材のドキュメンタリーということで、張り切って書いたら記事がクソ長くなりました。
8500字程度あるので、お暇でしたらお付き合いください。

ゲームハード論争の専門家ではないので、ゲーム機の性能とかの話はわかりません。

 目次です。好きなところから読めます。

 

世界初のテレビゲーム


1960年代軍需産業の電子機器メーカーでエンジニアをしていたラルフ・ベアは、テレビを「ただ見るだけではなくもっと有効活用できないか」と模索していました。
あるとき、テレビに機器を接続し、表示される点を自由に動かすことで遊ぶゲームを思いつきます。
世界初のテレビゲームの誕生です。


ラルフの勤める会社がゲームの製造に乗り出さなかったので、マグナボックスというテレビメーカーにライセンスを販売し、『オデッセイ』というゲーム機として販売することになりました。
このオデッセイの試作品を展示会で遊んだアタリ社創始者ノーラン・ブッシュネルが、このアイディアを発展することを決意します。


というのも、オデッセイは卓球やテニスを模したゲームなのに、
「得点が表示されない」
「球を打ったあとに軌道を変えられる」
「音がなにも出ない」
など未熟な要素が多く、ゲームとしては単純につまらなかったのです。


ノーランはかつて働いていたシリコンバレーの企業から優秀なエンジニアを引き抜いて独立し、アタリ社を創設しました。
最初は小さな会社でしたが、当時流行り始めていたアーケードゲームの製作販売で成功し、つぎのプロジェクトを求めていたのです。
そこでノーランはオデッセイをパクることにします(笑)


「得点を表示」
「球を打った後に軌道を変えられない」
「ゲームっぽい音が出る」


とオデッセイの不満点を改良しただけでなく「ラリーが続くと球速が速くなる」という得点の入りやすい要素を加えてゲーム性を向上した『PONG(ポン)』というアーケード筐体を販売しました。
このポンが全米でバカ売れしました。


この勢いのまま発売された家庭用ポンは大ヒットを飛ばし、家庭用ゲームという新しいエンタメを世間に知らしめたのです。
アタリ社はその後も家庭用ゲームを次々と発売するのですが、その1つ『ブレイクアウト』を開発したのはアップル社創設者のスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックです。
というかジョブズがウォズニアックに作らせて、ボーナスを1人締めしたようです(笑)


ポンの大ヒットを快く思わない人物がいました。
オデッセイの発明者ラルフ・ベアです。
訴訟になりかけたのですが、アタリ社がラルフにライセンス料を払うことで解決しました。


つぎにノーランは単体のゲーム機ではなく、カートリッジを入れ替えることで複数のゲームが遊べるビデオゲームコンソールの販売をもくろみます。
しかし、アタリ社の資金力では開発・製造・販売のすべてを自社で担うことは不可能なので、エンターテインメント産業のワーナー社に話を持ちかけ、子会社として資金提供を受けることにしました。
こうして発売されたのが史上初の家庭用ゲームコンソール『Atari2600』です。

 

 

家庭用ゲーム業界の躍進と崩壊


1977年に発売されるとアタリ2600は北米でバカ売れして、またたく間に家庭用ゲーム産業は年間数十億ドルを売り上げる巨大産業へと急成長します。
その支配者として君臨するアタリ社ですが、数年後に深刻な危機を迎えました。


1つ目の原因は「著しい技術躍進のせいで、アタリ2600の性能があっという間に陳腐化してしまった」ことです。
アタリ社社長のノーランは早急な次世代機開発を目指しましたが、親会社のワーナー側はエンタメ業界の人が多くテクノロジーに疎かったので「アタリ2600が売れてるのになんで次が必要なんだ?」と乗り気じゃなかったのです。


性能が低いことが問題になるのは、80年前後に大流行していた「アーケードゲームを家庭用に移植するときに劣化版になってしまう」ということです。
当時『スペースインベーダー』を代表に多くのアーケードゲームが人気を博していましたが、大ヒット作の『パックマン』を再現するにはアタリ2600の性能が低すぎて、べつのゲームのようになってしまったのです。
好きなゲームを家で好きなだけできると期待していたユーザーは当然不満に思います。


2つ目の原因は「サードパーティが劣悪なゲームをユーザーに売りつけた」ことです。
アタリ社は他社がアタリ2600に供給するソフトの品質管理への関心が薄く「先住民族の女性をレイプする」ゲームのようなとんでもないゲームが発売される無法地帯になってしまっていました。


わたしもそのゲーム『カスターズ・リベンジ』のプレイ映像を見たことがありますが「差別的」で「ゲームとしてつまらない」うえに「エロくすらない」というマジもんのクソゲーでした(笑)
あれに比べれば現在のゲーム業界のクソゲーなんてかわいいものです。


また、大ヒット映画『E.T.』がゲーム化され大量に出荷されるのですが、これが「たった6週間で作られた」とんでもない低品質のゲームだったのです。
こうしてクソゲーをつかまされ続けて家庭用ゲームに失望していたユーザーが新しいソフトを買わなくなり、じょじょに業界は衰退していきました。


E.T.』が大量の在庫を生みだし業界の大量絶滅、通称『アタリショック』を引き起こしたという説は、現在では否定的なようです。
前述したように性能不足、ソフトの品質管理不足のせいでクソゲーが濫造されていたことで少しずつユーザー離れを起こしたという見方が一般的です。


数百万本の『E.T.』が砂漠に捨てられ、『E.T.』の墓場があるという噂が長年あったそうですが、実際は埋立地に埋められたそうです。
こうしてアタリ社は親会社のワーナーに大損害を与え、ワーナーはアタリ社を売却しました。


不良在庫を抱えた小売店も大ダメージを受け「家庭用ゲーム業界は終わった……」「ビデオゲームは一過性のブーム」と経済の専門家は口々に言いました。
実際、北米の家庭用ゲーム市場の売り上げは激減していたのです。
しかし、家庭用ゲーム産業は死にませんでした。

 

 

任天堂が北米ゲーム市場を復活させる


北米でゲーム産業が大量絶滅への道を辿っているとき、まったく無関係にゲーム産業が急成長している国がありました。
もちろん日本です。
もともとオモチャメーカーだった任天堂は携帯ゲーム機『ゲーム&ウォッチ』の大ヒットを受けて本格的にゲーム産業に参入しつつありました。


アーケードゲームドンキーコング』がヒットしたこともあり、自社でゲームコンソールを発売することにしたのです。
そうして発売した『ファミリーコンピューター』は伝説の名作『スーパーマリオブラザーズ』がバカ売れしたこともあって、日本国内で爆発的にヒットしました。
となれば、世界最大の北米市場を放っておく手はありません。


本来なら巨大なライバルになるはずだったアタリ社が自滅したので、なおさらチャンスです。
しかし、北米に進出するにあたって、解決しなければ問題がありました。
それは「消費者のゲーム機への印象をよくする」ことではなく「小売業界のゲーム機への嫌悪感を払拭する」ことです。


ゲームの内容には自信があるので、プレイしてもらえばユーザーの信頼は取り戻せます。
しかし、そもそも店に置いてもらえなければそのチャンスさえありません。
アタリショックで大損害を受けた小売店のゲーム機への嫌悪感はかなり強く「ゲーム機」と聞いただけで追い返されることもあったそうです。


任天堂はこの嫌悪感をなんとか払拭しようとしましたが、ダメでした(笑)
そこで任天堂は発想を転換したのです。
「そうだ、ゲーム機が売れないなら、ゲーム機を売るのをやめればいいんだ!」
!?


任天堂の担当者は小売り業界の人に『NES(海外のファミコンのこと)』を説明するときに、
「これはゲーム機じゃなくて、家電です」
と説明したのです。


そのためにロボットやパワーグローブなど大量の周辺機器を用意して家電感をアピールしました。
北米市場開拓のせいで日本の子どもも大量のクソ周辺機器をつかまされて泣いたそうです(笑)


販売担当者の苦労の甲斐もあって、NESは大ヒットし、死にかけだった北米のゲーム産業は大復活を遂げました。
さらにアタリ社の失敗を教訓とした任天堂サードパーティによるゲームソフト販売に制限をかけ、ソフトを公認制にしました。


ゲームの内容を厳しくチェックし、非公認のカートリッジが動かないようにするプロテクト機能をNES本体に搭載したのです。
※このプロテクト機能を突破した非公認カートリッジは後にたくさん発売されました(笑)


このチェックのおかげでユーザーは「最低限ゲームと呼べる」品質のものを安心して購入することができたのです(クソゲーじゃないとは言ってない)。

 

 

覇者任天堂に挑むセガ


こうして北米市場を完全に支配した任天堂でしたが、これを快く思わない人たちがいました。
シェアほぼ100%、ソフトメーカーへの管理統制などで公正取引委員会から独占禁止法で何度も調査を受けたそうですが、それはとりあえずゲーム戦争と関係ないので省略します。


不満をため込んでいたのはサードパーティのゲームソフトメーカーです。
ゲームの内容にまで口を出される厳しいチェック体制も不満の種ですし、おまけに任天堂はソフトの売り上げに対するメーカーの取り分の比率を低く設定していたのです。


自由にゲームを作れないわ、取り分も少ないわでメーカー側が不満に思うのも当然のことです。
このことは後にソニーが『プレイステーション』を発売して業界に参入したとき、多くのメーカーの離反を招いたと言われています。
メーカーたちが不満をため込んでいるところに、救世主が現れました。


任天堂と同じく日本から海を渡ってきたSEGAは『GENESIS(日本ではメガドライブ)』を発売します。
このGENESISは高性能16ビットマシンで、8ビットのNESでは表現できない高画質高速描画が売りでした。


「ともに任天堂を倒そう!」とメーカーとがっちり握手したセガですが、普通に戦って任天堂に勝てるわけがありません。
まず、マリオという最強キャラに対抗するためのキャラクターが必要でした。
愛嬌のあるヒゲ面の配管工が相手なので、クールなハリネズミソニック』をデビューさせます。


任天堂が圧倒的に強い低年齢層へ売ることをあきらめ、ユーザーを中学生以上の年齢層に絞ったのです。
そのためにかっこいいキャラであるソニックは最適だったのでしょう。
また、ソニックの登場作品『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は高速で移動するスピード感が特徴だったので、性能で優るGENESISを売り込むには絶好でした。


「NINTENDON'T(任天堂にはできない)」という攻撃的なキャッチコピーを前面に出し、任天堂との違いをアピールして売り上げを伸ばします。
高年齢層が対象ということで、当然ゲームの内容にも違いが生まれました。
より過激で暴力的な内容のゲームがGENESISで発売されるようになり、その最たるものが『モータル・コンバット』です。


モータル・コンバットは当時流行していた『対戦格闘ゲーム』という等身大のキャラクターが1対1で格闘するゲームなのですが、負けた側が内臓をぶちまけたり首をもぎ取られたりして死ぬ残虐描写が話題になりました。
もちろん残虐描写はみんな大好きなのでこのゲームは売れて後に映画化されました(笑)


当時日本ではセガ任天堂のライバルとは言えなかったのですが、北米ではシェアを分け合うほど健闘していたのです。
しかしこの過激化を親世代が心配し始めたのです。
自分の息子が残虐なゲームをやりながらゲラゲラ笑っていたら不安になるのも仕方ありません。


ということでセガアメリカの議会に呼び出しを食らいました(笑)
この公聴会では任天堂が議員側についてセガのゲームが子どもに悪影響を与えるという説を後押しします。


汚いさすが任天堂きたない。
政治の力を使うんじゃなくて、ゲームの内容で勝負しろよ!
この映画はアメリカ制作ですので、全体的に任天堂を悪役として描いています。
セガも日本企業なんですけど(笑)


ともかく、セガも頑張って反撃するのですが、残虐描写を問題視する親世代を納得させることはできませんでした。
これはセガだけの問題ではなく、業界全体のピンチです。
そこでメーカーは年齢レーティングをして、現在まで続く年齢制限制度を作りました。


余談ですが、現在の日本では「人間が流血する描写がある」ゲームはCEROに18歳以上推奨にレーティングされるそうです。
龍が如く』を発売するときにプロデューサーの名越稔洋CEROに話を聞きに行ったとき「クリーチャーが流血するのはOK」と言われ「嘘だろ、ピカチューが血を流したら子どもが泣くだろ!」と憤ったそうです。


さて、こうして加熱する任天堂セガのゲーム戦争はどうなってしまうのでしょうか?
気になるところですが、残念ながら映画はそろそろ終わりです(笑)

 

 

眠れるドラゴン、ソニー襲来


90年代に入り、ゲームの目覚ましい進歩により、業界では大容量化が望まれるようになっていました。
コストが高いうえに容量が小さいカートリッジではなく、安価で大容量のCD-ROMへの移行が必須課題だったのです。
日本ではNECが発売した『PCエンジンCD-ROMROM』が先駆けとなっていました。


任天堂もCD-ROMを使ったハードを発売することが急務となり、ソニーと共同で開発するプロジェクトの話が進みました。
まったく新しいゲームハードを発売するのではなく、すでに普及していた『スーパーファミコン』に後付けする周辺機器として開発することまで両社の合意が進んでいたのです。


その周辺機器の仮名はスーパーファミコンプレイステーションです!!!
さあ雲行きが怪しくなってまいりました(笑)
こうして共同開発が進み、試作機が完成していたある日、任天堂は驚愕の発表を行います。


「CD-ROM搭載の新型機をフィリップスと共同開発する」
この発表は世界中で多くの人を驚かせました。
「日本にはソニーがあるのに、なぜオランダのフィリップスと手を組むんだ?そもそももうソニーと共同開発しているんじゃなかったのか?」
とさまざまな波紋を起こしました。


いちばん驚いたのはソニーです。
すでに試作機まで作っていたのに、なんの通達もなく、この裏切り同然の発表を聞いたのですから。


「なぜ任天堂がこのような不義理を働いたのか」という疑問が残ります。
一説では、自社よりも企業規模の大きなソニーがゲーム産業に参入することで「主導権を奪われることを恐れたから」と言われていますが、本当のところはわかりません。


ちなみに任天堂スーファミの次世代機として発売した『ニンテンドー64』はあいかわらずカートリッジ式でしたし、フィリップスと共同開発したCD-ROM搭載機は現在に至るまで発売されていません(笑)


これが任天堂にとっての失策だったかどうかはわかりませんが、結果的に恐れた未来がやってくることになりました。
メンツを潰されたソニーは『プレイステーション』プロジェクトを中止せず、そのまま新ハードを自社開発する新プロジェクトへと移行したのです。


こうして任天堂セガが束になってもかなわない世界的大企業のソニーがゲーム業界に参入し、発売されることになったプレイステーションですが、任天堂セガはそれほど危機感を抱いていませんでした。
それは事前に予想された500ドルというハード価格が「ゲーム機としては高すぎるから売れない」と思われていたからです。


ところが、業界人がかたずを飲んで見守るなかソニーが発表した価格は予想より大幅に安い299ドルでした。
この価格設定が決定打となり、この後「セガは倒れ、任天堂も長い低迷期に入った」とさらっと説明されて映画は終わります。

 

 

その後~現在までのゲーム機戦争


映画は終わりましたが、現在までのゲーム機戦争の流れを簡単に説明します。
映画では触れられていませんでしたが、プレステ発売と同時期にセガは『セガサターン』という新型機を発売したのです。


しかし、企業体力で圧倒的に優るソニーの値下げ攻勢に巻き込まれ、じょじょにセガは疲弊し、さらに次世代機の『ドリームキャスト』に夢をかけましたが、初期生産が遅れて需要を逃したことも手伝い、完全敗北を認めてゲームハードから撤退、パチンコソフトメーカーへと転身して今に至ります。


セガサターンプレイステーションに敗れる決定打となったのは「大人気RPGファイナルファンタジー7』がプレイステーション独占だったため、ハードの販売数に大きく影響したから」という通説が日本にはあります。
しかし、FF7の日本での売り上げは400万本、RPGがそれほど人気のなかった北米での販売数は300万本ですので、ゲームハード戦争にトドメを刺すほどの本数ではありません。


値下げ攻勢についてこれなくなるまでセガの企業体力を削り切ったソニーの力押しの勝利だったとわたしは思います。
なお、SCEソニー・コンピュータ・エンタテインメント)は後々PS3発売時に同じような値下げ攻勢をマイクロソフトに仕掛け、約5000億円という巨額の赤字を叩き出してこの世から消滅しました(笑)


「カートリッジ式がもう古いから」と出した次世代機ニンテンドー64もなぜかカートリッジ式だったため自爆した任天堂はその後も覇権を取り戻すことはありませんでしたが、『Wii U』でずっこけて赤字を出すまでは堅実な黒字経営を続けていました。
ニンテンドー64、『ゲームキューブ』と立て続けに負けていたのに黒字を維持できたのは「だいたいポケモンのおかげ」という説があります(笑)


セガを倒し、任天堂をマイナーハードに追いやった覇者ソニーことSCEに、IT界の巨人マイクロソフトが新ハード『X-BOX』をひっさげて挑んできます。

「黒船来航!」などとメディアによって危機感が煽られましたが、ゲーム機の本体が重すぎて日本に到着することもなく沈没しました(笑)


日本国内はともかく、今度の戦いは「シェアを取ったほうが勝つ」という単純な展開にはなりませんでした。


『PS2』対『X-BOX』の戦いではSCEの勝利、『PS3』対『X-BOX360』でもSCEの勝利です。
なのにマイクロソフトはゲーム産業から撤退せず、潰れたのはSCEだったのです。


1つ目の理由は「PS3本体が複雑な構造をしており、部品が非常に高価で、1台6万円で売っても2万3万の赤字が出る」という、商品として問題を抱えていたことでしょう。
2つ目の理由は(こちらのほうが大きいと思うのですが)「オンラインプレイを無料にした」ことです。


マイクロソフトのほうはオンラインプレイ利用料を取っていたので、1台売ればたとえ値下げで多少赤字が出たとしてもその後ユーザーが長く遊ぶほど回収し、利益を上げられたのです。
ところが、PS3は本体を売っても赤字、オンラインプレイにかかるサーバーなどの経費も赤字で、赤字しか生まれない運営構造になっていました。


潰れたSCEの後進として生まれたSIE(ソニーインタラクティブ・エンタテインメント)はこの失敗を反省し、PS4ではきっちりオンラインプレイを有料にして、コロナ禍の巣ごもり需要なども手伝って2020年には1兆円超えの史上最高益を記録しました。
ゲーム機販売競争では結局勝てなかったマイクロソフトですが、こちらはWINDOWSでゲームが売れても利益が生まれます。


2020年にPS5が発売されましたが、SIEによると「これが最後のゲーム専用ハード」になるそうです。
※発売されたという噂を聞きましたが、いまだに買えないんですけど、ほんとに発売されたの?(笑)


スマホやゲーミングPCの高性能化、低価格化に伴って、ゲーム専用ハードを必要としない時代がきて、約30年に及ぶゲームハード戦争は自然消滅し、平和が訪れたのでした。


……じつは平和など訪れていません。
数年前、現代最強の企業Google社がクラウドゲーミングサービスの提供を発表し、ゲーム産業への本格参入を表明しました。
専用のゲームハードを必要とせず、スマホタブレットで気軽に遊べるサービスです。


この情報を知ったSIEとマイクロソフトは危機感を覚え「次世代機(PS5とかのことです)では現在お互いが独占販売しているソフトをどちらのハードでも遊べるようにする」という合意を結びました。
新たなる敵、最強企業Gooleに対抗するために旧敵同士が握手する形での合意です。


ところが、このクラウドゲーミングサービスは5Gの普及が前提とされていました。
普及が遅れに遅れているうえに、5G自体が当初信じられていたような万能技術ではなく、サービスの開始が先送りになったことで脅威ではなくなり、我々ユーザーにとっては夢のような合意はなかったことになりました(笑)


ともかく戦争の場所がハードではなくなっただけで、テレビゲーム戦争はますます苛烈になっているようです。
このままSIEが覇者であり続けるのか、それともGoogleが覇権を取るのか、戦争は始まったばかりなのです。
まあ始まったというか、この戦争の開戦はまだなんですけど(笑)

長々とお付き合いいただきありがとうございました。
以上です。